方角と身体記憶

大層なタイトルだけど下らん話。
風呂場の電球が切れて、風呂場の中はかなり暗かった時。
(まあいいや、普段、髪や顔を洗ってる時だって目つぶったまんまで、そこそこ記憶で不自由なく動けるじゃないか)
と思って電球買いに行くのめんどくさがって、しかも変に面白がって(心の目で見るのだ)とか阿呆なことを考え、わざわざ家中真っ暗にして入浴することにした。そしたら通常の瞑目時よりはるかに自分の空間位置が掴めず、いつの間にか向きが微妙に変わっていたりして、ヒジは壁にぶつけるわ、セッケン落っちゃかして手探りで捜そうとしゃがんだら前髪が洗面台かすめて焦るわで、とてもたのしかったです。おわり。


考えたのは、今まで意識していなかったけど、まぶたを透けて感じる光源の位置が、位置情報を補正するのに重要な手掛かりだったんだなぁ、ということ。シャワー出しっぱなしの間はその音でも位置がわかるのだけど、位置が固定された光源も音源もない状態では、人間は明後日の方角を向いて髪を洗い、鼻歌を歌ってしまうのです。なんておそろしい・・・。
そして、漫画PLANETESで読んだ宇宙飛行士に稀にある空間喪失症を思い出した。昔ながらの宇宙空間適応訓練である音と光の一切を断つ感覚剥奪室での訓練で、宇宙空間で遭難しかけた主人公が体が覚えている恐怖によってパニック症状を示す。あと漫画の最初のエピソードでは『上も下もわからない宇宙で宇宙飛行士が最も知りたがるのは方角』という話が出て来ていた。

つまり今回私は、宇宙飛行士の訓練に限りなく近い経験をしたと言い切れる。

無重力無音の闇の空間で落っことしたセッケンを探す、というか無重力では落下しないので、床の2D平面上じゃなく自由度3でその辺を漂っているセッケンを探す、なんてのは想像するだけで恐ろしいことです。間違いなく風邪をひきます。
つまり、人間が正しく思考判断を行うには、何かしら論理の出発点となる基準、客体に根ざした機軸が必要なのだということです。
イイハナシダナー